焼き畑

気がついたら焼け野原

読書感想文 角田光代『幸福な遊戯』

 期待していたのとだいぶ違った。

 暗い。重苦しい。閉塞感。読んでいて楽しい小説ではない。角田光代といえば『八日目の蝉』の印象が強く、心情描写が巧みで綺麗で暖かみがある、繊細な文章を書く作家というイメージだったが、今作はひたすら暗い、先行き不透明な息苦しさしかない。

 『幸福な遊戯』『無愁天使』『銭湯』の三編からなる短編集。

 『幸福な遊戯』は、私ことサトコ、立人、ハルオの三人が、家族の真似事のようなアンバランスな共同生活を送る話。家族ではないがそこにある緩やかなつながりで成り立つ居心地の良い空間の描写は好きだが、それにもすぐに陰りが見えはじめ、何とか崩壊を認めまいとするサトコの空回りが痛々しい。切ない。

 『無愁天使』は三篇の中で一番救いのない話。とにかく命を永らえさせようとする現代医学と倫理観と、家庭の経済状況という現実問題の板挟みで狂ってしまった家族と、そこから這い上がれなくなった私。息苦しい。

 『銭湯』は、母親には芝居をやり続ける、と大見得を切ったのに、いざ大学卒業が近くなると見えない先行きの不安に押しつぶされ、結局普通の会社に就職した女の話。なにかになりたいけど、何にもなれないまま妄想だけを肥大化させていく様子は、他の二篇よりは親しみ易い題材で、一番好きかもしれない。

 三篇に共通するのは、この時代ならではの息苦しさか。
 1990年に発表されたのが表題作『幸福な遊戯』なので、平成初期。少しずつ女性が主体性を持って社会に進出し始め、しかしいまだ男性があらゆる場を支配しており、肩身が狭い。自分の自己効力感とそれを認めない周りとのギャップ。そのギャップがこの、何かになれそうで何にもなれない、一度体を売ったりしたらどこまでも落ち続けていき這い上がれない、という空気感や閉塞感、焦燥感につながっている感じがする。
 正直、見ていて気持ちの良いものではない。
 どの主人公もだいたい可哀想なのは同情するのだが、もっと頭がよかったらより良い発想を思いつきそうなのに、あるいはもっと行動力があったらより良いどこかに辿り着けそうなのに、というちょっとずつ歯がゆい言動が多く、無性に腹立たしい。
 『幸福な遊戯』のサトコは家庭環境は同情するが、聞き分けのない子供じみた言動が目立つし、『無愁天使』は、過程に同情の余地は多いものの、母親が死んだ時点で、まだある程度の蓄えはあるのだから、豪遊をどこかの段階でスパッとやめればもっと何とかなるだろうに、一向に自分の愚行を振り返って改善しようとしないし(心情描写が極端に少ない気がする。とても主人公が不気味)、『銭湯』も長話の婆さんなんかいくらでもあしらえるだろうのにしないし、ある程度実入りはあるのにボロアパートに何故かこだわるし、そもそも、母親に頑なに芝居を続けている、という嘘を吐き続ける理由に納得感がない(というか描写されない)。主人公だけじゃなく、どのキャラも、ほんの少し何かが欠けた人物が多く、スッキリしない感じ。

 次はスカッとする話を読みたい。