焼き畑

気がついたら焼け野原

読書感想文:伊坂幸太郎『マリアビートル』

読んだ本

幼い息子の仇討ちを企てる、酒びたりの元殺し屋「木村」。優等生面の裏に悪魔のような心を隠し持つ中学生「王子」。闇社会の大物から密命を受けた、腕利きの二人組「蜜柑」と「檸檬」。とにかく運が悪く、気弱な殺し屋「天道虫」。疾走する東北新幹線の車内で、狙う者と狙われる者が交錯する――。小説は、ついにここまでやってきた。映画やマンガ、あらゆるジャンルのエンターテインメントを追い抜く、娯楽小説の到達点!

(裏表紙より引用)

以下、ネタバレ注意。
それと、前作『グラスホッパー』についても言及あり。こちらはネタバレはないけれど、嫌な人は注意。

感想

雑感

個人的面白かった度:7
※10段階評価

 再読。ハリウッド映画化されると聞いて、それまでに復習しておこうと手に取った。

 怪我したせいで結局映画見にいけないがな!

 私は伊坂幸太郎ファンなのだが、ハリウッド映画と聞いて、不安半分期待半分。正直日本の作品が海外で実写映画化されることに関してはいい思い出はないが、かといってドラゴンボールみたいなファンタジー作品じゃなければひどいことにはならないだろうという楽観もある。

 しかし、チョイスは悪くない。
 確かに、伊坂幸太郎の作品でハリウッド映画向けと言えば、『マリアビートル』だろうな。運の悪い殺し屋、降車不可のノンストップ新幹線、居合わせた一癖も二癖もある殺し屋たち、交錯する策略、狭い車内でドンパチ――。うむ、悪くない。  まあ、前作の『グラスホッパー』とか、『魔王』や『ゴールデンスランバー』もハリウッド映えしそうではあるけど。

稀代の殺し屋小説、の続編

 前作、『グラスホッパー』に引き続いて、登場人物のほとんどが殺し屋の、通称殺し屋小説。
 前作同様、手に汗握る命のやり取りが繰り広げられ、誰が生き残るか誰が死ぬか、結末がどうなるのかを想像しながら読むのがとても楽しい。
 加えて今作ではエンターテインメント要素以外でも「何故人を殺してはいけないのか?」という哲学じみたテーマを、作中で最も悪意に満ちた存在である「王子」を登場させることで提起しており、命がこの上なく軽い作品でありながら命の価値について考えさせる、背反した要素を含む興味深い作品に仕上がっている。

 世界一ついてない殺し屋「七尾」、トーマスと機関車が大好きな「檸檬」と小説好きで理知的な「蜜柑」のコンビ、元殺し屋のアル中「木村」など、癖のあるユニークなキャラクター群は前回同様抜群に魅力的で、キャラクターものとしても楽しめる。
 私が特に『マリアビートル』で好きなのは「檸檬」。「蜜柑」も好きだけど。
 この手の、ぱっと見は単なるやられ役みたいな性格のキャラをうまく立ち回らせて存在感を持たせるのはさすが伊坂幸太郎といったところ。ちなみに、前作『グラスホッパー』では「蝉」が好きだった。我ながら、好きになるキャラの傾向は分かりやすい。

「王子」の敵としての嫌らしさ

 今作の特徴を語る上で避けて通れないのが、「王子慧」というキャラだろう。

 ぱっと見は優等生然としており、あどけなさも残る中学生なのだが、その実、列車内で跋扈する殺し屋たちの誰よりも冷酷で悪辣で計算高く、さらに天が常に味方してくれるような強運の持ち主で、この小説におけるラスボスとも言える位置づけのキャラだ。

 このキャラ造形の憎たらしさ、言動の数々の腹立たしさと言ったら。

 周囲を常に下に見ており、周りの人間は取るに足らない愚かな人間たちだと確信している。
 実際、優等生然とした中学生を演じることで周りが子ども扱いし油断する大人たちばかりなのだから、彼のような思想が形成される背景も理解できなくはない。が、到底許されぬ言動の数々に、顔をしかめたくなる。吐き気を催す邪悪とはまさにこのこと。

 伊坂幸太郎は、こういうとことんヘイトを買うキャラの描写が上手いな、と思う。

 そしてこういうキャラが出るからこそ、最後はどういうオチにするんだ、どう着地させるつもりなんだ、と先が余計に気になって読み進める手が止まらなくなる。ここで中断するなんてありえない、最後まで読まなきゃ、と読者に思わせ、引っ張っていく魔力がある。

抜群のエンターテインメント性、がいくつか難点もある

 と、こんな感じで良いところを上げてみたが、難点というか、個人的に気になって楽しみ切れない部分があった。

 一つ、「王子」が悪い意味で嫌な奴過ぎたこと。

 上記のように、ヘイトを背負いこんでラストまで読者をグイっと引っ張って行ってくれることには成功している、がヘイトはヘイトなので、どこかで解放する必要がある。解放せずに終わってしまえば、それは消化不良となり、イライラさせるだけの小説、になってしまう。

 この解放はいわゆるカタルシスという奴で、たとえばミステリであれば、立ちふさがるのが大きな謎であればあるほど、謎解きパートで明快にズバッと探偵が答えを提示することにより、一気に抑圧から解放され、読者を気持ちよくしてくれる、つまりカタルシスが味わえるのだけど、それと同様、今小説においてどんどん高められていくヘイトは「この嫌な奴にどういう仕返しを与えてすっきりさせてくれるのだ?」というカタルシスへの期待になる。

 しかし、カタルシスという意味では今作はちょっと弱い、と感じてしまう。え、さんざん暴虐の限りを尽くした奴のしっぺ返しがあれだけなの? と。  周囲を好きなだけ振り回した挙句、最終的にはあっけなく、「木村」の両親、伝説の殺し屋たちの手に渡り、恐らく最終的には海に浮かぶことになる。その描写があっさりとしているというか、ここまで膨らませた鬱憤を晴らすには足りないと思ってしまう。最終的に哀れな結末をたどることになった「王子」の、悔恨も後悔も描写されないのだ。
 これでは、天秤に掲げたヘイトの重さが大きすぎて、この結末を天秤のもう片方に乗せても釣り合わない、と感じてしまう。

 たとえば、「王子」がしてきたことそのものが何らかの形で返ってきて、結果「王子」が足をすくわれる決定打になり、後悔や懺悔の言葉を口にしながら最後の時を迎える……とか。うん、言ってて残酷な気はするな。要は「『王子』がの考えはやはり間違いだったのだ」と「王子」に、そして読者に納得させるようなオチが欲しかった。

 一応「さんざん、暴力以外の行動によって周りをコントロールしてきた『王子』が、最後には単純な暴力によってその末路を立たれる」とか「あんなに大人たちを煽っていたくせに、最後はたかが十何年も生きられずに生涯を終えるのだ」とか、最後のみじめな状況を考えるとちょっと溜飲が下がるか。

 また、「槿」のパートには以下のような彼の発言がある。

古くから存在しているものには、敬意を感じる。長く生きていることは、それだけで、優秀だってことだ。生き延びているんだからな。

 もしかしたらこの言葉こそ、まさに「王子」に対する最大の皮肉なのかもしれない。

 気になる点、もう一つは、キャラに感情移入しにくいこと。
 これは上記よりもさらに個人的な意見になってしまうが。

 前作、『グラスホッパー』は、章ごとに複数の登場人物たちの視点が変わっていく群像劇的なスタイルだったが、主人公は誰か、と言われたらまず間違いなく「鈴木」と答えるだろう。
 「鈴木」は、他登場人物たちとは異なり殺し屋ではない堅気の人間で、妻を理不尽な事故により失い、その復讐のために裏の社会に飛び込んでいく、というキャラだ。これは分かりやすく、感情移入しやすい。たいていの読者は殺し屋ではなく、そして私も人を殺したことがないからだ。

 だから私は「蝉」は好きなキャラだったが、感情移入はしていないし、最後にはきちんと敵として散っていってほしかったと思っていた。あくまで読むときは「鈴木」目線だ。

 では今作はどうか。

 群像劇スタイルであるのは前回と同様。その中であえて主人公を選ぶとすると「七尾」だろう。  タイトルの「マリアビートル」は作中でも出ている通りてんとう虫のことであり、「七尾」のあだ名も「天道虫」、エピローグもきちんとついているので、主人公として読者が感情移入して呼ぶべきはやはり彼だろう。しかし、どんなに温和な性格で親しみやすくとも、仕事で他人の命を奪う殺し屋であり、主人公として感情移入できるかは難しいところ。

 しかし、彼の性格以上に私が彼を受け付けないのは、彼の行動とその行動によって起こった影響のためだ。

 まず「七尾」がキルしたキャラたちを列挙しよう。「狼」「スズメバチ」(の片割れ)「蜜柑」。そして間接的に殺したキャラも含めれば、「七尾」が睡眠薬を仕込んだ水を飲んで昏睡状態になったがために殺された「檸檬」も該当するだろう。このうち、「狼」「スズメバチ」は状況的に仕方ないとして、「蜜柑」「檸檬」については、あそこで殺さなければ……とどうしても思ってしまう。

 何も私が「蜜柑」と「檸檬」が好きだったからではない。
 「蜜柑」も「檸檬」も、本作の巨悪である「王子」を、あと一歩のところまで追いつめているのだ。いいぞ、やれ、と読者である私の応援をよそに、それをことごとく邪魔しちゃうのだから、おいおい何してんの、となってしまうのも致し方ない(これこそ、彼特有の運の悪さかもしれない)。
 そして代わりに彼が「王子」を追いつめるのかと思いきや、「王子」の企みに気づくことは最後までなく、気が付けば蛇に巻き付かれて退場する。

 主人公の姿か? これが。

 作品全体において、あまり役に立ってる感じがしない。主人公的な立ち位置のはずなのに、作品を推し進める原動力としては弱いのだ。運が悪い殺し屋という設定は面白いし、強運の持ち主である「王子」と対比になっているのも興味深くはあるが、もう少し魅力的な立ち振る舞いができなかったか、と思う。
 トラブルメーカーとしては面白いが、場を引っ掻き回すだけで何もしない、では主人公としては片手落ちではないか。

 先に書いた通り、「マリアビートル」は「天道虫」のことであり、マリア様の悲しみを背負って飛んでいく、英語の「レディビートル」と重ね合わせたらしいが、さしたる活躍もないので、せっかくのタイトルとの重ね合わせも深みがなく、なんだかなあと言ったところ。

 それから、やっぱりもうちょっと「蜜柑」と「檸檬」に活躍してほしかった、と思う。

 「蜜柑」も「檸檬」も、「王子」の強運さと「やっぱり大人はちょろい」と「王子」に思わせるための舞台装置的な死に方になってしまっている。せっかく、「『檸檬』は死んでも復活する」だの「死んだときはメッセージを残す」だの、面白そうな布石をところどころ設置しているにも関わらず、それが上手く発動したようには感じないのだ。それが上手く発動して、つまりダイイングメッセージが作動したことにより「王子」が決定的な窮地に立たされる、とかになっていたら、前述の「カタルシスの弱さ」も改善されていい感じになると思うのだけど。

総評

 ハチャメチャに面白い殺し屋エンターテインメント小説。

 読み進めるのは楽しいし、キャラの作りこみ方も私の好きな伊坂節といった感じ。

 が冷静に考えると、ここもうちょっとこうなってればなあ、という点も多い。

 伊坂幸太郎好きならオススメ。当然前作「グラスホッパー」が好きなら読むべし。「槿」と「鈴木」も出るよ。