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今日のやつ その57

 仕事せずにネットの海を漂っていたら(仕事しろ)、面白い話を見つけた。

「SFで嘘をついていいのは一つだけ」というSFの定説があるらしい。  ちょっと見かけただけなのでこの記事を読んでいる人は眉に唾つけて読んでほしいのだが、私にはこのワードはある種の天啓だった。

 先日書いた、『赤に捧げる殺意』の読書感想文、そこで鯨統一郎『Aは安楽椅子のA』をちょっと強めに難癖をつけてしまったのだが、この手の小説(ゲームや漫画も含んで、物語と言ってもいい)が私に受け付けない理由はまさにこれだ、と思う。嘘が多すぎるのだ。

 もちろんミステリにSFの定説を持ち出すこと自体がズレている、という指摘はあると思う。が、物語にとって普遍の原則でもあるのではないだろうか。

 ファンタジーでもSFでも、物語の中核が、ある種の嘘であることは多い。
 ドラえもんなら「もし未来からロボットがやってきたら」、なろう系なら「もしチート能力を引っ提げて異世界に転生したら」、SFものなら「もし将来犯罪を犯す遺伝子が発見されたら」、などなどのIFが話の骨格をなして話が広がっていくものが多い。その嘘は、一つでないかもしれないが多くはないはずだ。

 このSFのIFを例に取ったら、「将来犯罪を犯す遺伝子が発見される」という嘘から派生した想像、「犯罪を未然に防ぐために、この犯罪遺伝子を持つ人間は逮捕してもいい法律ができた」とか「遺伝子差別が社会問題に」とか、派生した話をできるだけリアルに広げていくべきだし、そういうものを読者も求めているはずだ。この設定だとしたら、主人公やヒロインに「犯罪遺伝子」が見つかり、国家組織から逃げるサスペンスは面白そうだ。
 あるいは、近未来なのだとしたら、「将来そうなるであろう」と読者が簡単に想像しうるもの、に関してはもう少し嘘を盛ってもいい。例えば、現存エネルギーよりもクリーンなエネルギーが見つかり安定稼働が見込めるようになってそれによって車が動く、とか全自動で動くため自分で運転する人はマニアしかいない、とか逆にインフラが発達しすぎていて自家用車を持つ人が稀、とか。むしろ、そういう「将来そうなるであろうと読者が簡単に想像できるもの」は積極的に取り込むべきかもしれない。近未来なのに何も技術や常識が変化してないほうが変だから。

 が、ここに、より荒唐無稽な嘘を盛り込んだらどうだろう? 例えば、上記の「犯罪遺伝子」が見つかった主人公やヒロインを追い詰めることだけを注視し、犯罪遺伝子を持っている人はその場で警察が銃殺できるという法律が成立していたりしたら? ……うん、ちょっと例が思いつかないな。でもまあ何かインパクトのある嘘をさらに盛り込んだとしよう。そうしたら、話が空中分解する、というか何でもいいじゃんもう、ご都合主義的に嘘を盛り込みやがって、とならないだろうか?私はなる。

 『Aは安楽椅子のA』も私にとってはそれに近しい感覚だ。
 アンナは物の声が聞こえる。それが中核の嘘であり、IFの原点のはずだ。だからそこから波及して「どういうときに聞こえるのか」「デメリットはなにか」「どういう物体なら聞こえてどういう物体なら聞こえないのか」「そもそも何故聞こえるのか」「何故このタイミングなのか」などなど、全部とは言わないまでもちょっとずつ説明して、リアリティを固めていってほしいところを、それをせずに投げっぱなしのまま、「耳が聞こえなくなるというハンデを一切なかったコトにするぶっつけ本番読唇術」「どういう人の心までのぞけるハイパー有能無機物」とさらなる巨大な嘘を重ねようとする。もう、何でもありじゃん、てなる。その感覚。

 何度もいうが、これはあらゆる物語で普遍の要素だと思う。何か「嘘」を物語の中核に据えるのはいい。というかノンフィクションを名乗らない限りは、これをやらずに物語は始まらない、とすら思う。だが、嘘をついていいのは基本その一回(とそこから波及した、現実とのすり合わせの嘘)に限るべきだ。ドラえもんなら、これにさらにオバQエスパー魔美の要素を加えたら何が主眼かまるでわからないだろう。あるいはなろう系で良くナーロッパと揶揄されるのは、嘘はチート能力の部分で充分だから、ほかはちゃんと現実に即してほしいという読者の要望の現れなのかもしれない。

 記事自体が荒唐無稽になってきたのでこれで終わり。