焼き畑

気がついたら焼け野原

読書感想文:赤川次郎『三毛猫ホームズの推理』

読んだ本

血を見ただけで卒倒し、女性恐怖症でもある片山刑事が、あろうことか、女子大生殺害事件の捜査に加わり、女子寮を張り込むハメとなった。第二の被害者・女子大教授が飼っていた三毛猫をひきとった片山は、このホームズが並みの猫でないことに気がついた!――推理小説のファンを拡げ、日本の読書会に旋風を巻き起こした大人気シリーズの記念すべき第一作!

(裏表紙より引用)

以下、ネタバレ注意。

感想

雑感

個人的面白かった度:5
※10段階評価

ざっくりしたまとめ

  • 探偵が猫という斬新な設定の異色なミステリ
  • 軽いノリとハードな衝撃的な事件のギャップが特徴だが、作品の時代性もあるのかノリがあまり馴染めない
  • ややチープなトリックや謎

以下詳しく書きます

探偵が猫、という斬新さ

 これがこの作品一番の肝で売りだろう。

 探偵役が名私立探偵だったりはたまた他の奇抜な職業だったり、これまでにも色々変わり種はあったと思うが、動物であることはなかなかないのではないだろうか。少なくとも私は初めて読んだ。1978年初出の作品ではあるが、私にとっては目新しく、楽しく読めた。
 ただし、探偵猫ホームズは喋れない。それゆえ、仮に全てを見通す能力を彼女(ホームズはメス)が有していたところで、相棒の片山刑事が察してくれなくては事件は解決できない。飄々として気まぐれで、どこか達観した探偵猫ホームズの手を借りながら、冴えない平凡な片山刑事が難事件を解決に導く。ここらへんのバランス感覚が絶妙で面白い。

軽いノリとハードな衝撃的事件のギャップ

 探偵がマスコット的な存在であり、そして相棒の片山刑事はこれといって特徴のない朴訥なキャラ、という異色のコンビであることに加え、赤川次郎の軽く柔らかい筆致が合わさり、独特なノリとコミカルな雰囲気があり、ミステリでありながら何とはなく楽しい空気がある。
 が、そこはミステリ、事件はかなりえげつないし容赦ない。か弱い女性ばかりを狙って起きる惨殺事件、実の妹の生々しい不貞現場の目撃、さらに信頼のおける教授も死ぬし、容疑者も刑事仲間も、次々と命を落としていく。そして残った人たちはというと、間接的に直接的に、事件に何らかの関わりを持ち完全な意味で潔白な人はほとんど残らない。挙句の果てに真犯人は自殺。  えぐい。救いがない。いくら推理小説でももうちょっとこう、あるだろ! 他にやりようあるだろ! という感じ。

 読み終わってみればどのキャラも何らかの理由で死ぬし事件にかかわる形で手を汚す。最後まで後ろ暗いものを持たずに終わるのは、ちょい役を除けば主人公とホームズくらいなもので、とても陰惨とした空気のまま物語は幕を下ろす。
 ミステリだから仕方ないにしても、ちょっと人死に過ぎだし、満ち溢れたどろどろとしたものに満ち溢れすぎに思えてしまう。  軽いノリと殺人事件という組み合わせは、東川篤也のコメディミステリが好きな私としてはどんとこい! なのだけど、この作品までどろどろしてしまうとさすがに露悪趣味的というか。
 せっかくの軽めの語り口の文章なのだから、もう少し死体の量、手を汚す人の量を抑えてみても良いのでは? と思った。現に、死ぬことはないじゃない……と感じたキャラも何人かいた。

ノリの古さ、合わなさ

 今作で一番気になったところ。

 全体的にノリが古いというか、今風の価値観からするとずれている、ちょっとついていけない感じが全体から滲み出していて、作品の没入感が大きく削がれてしまった。
 具体的にどこが、と言われると難しいのだが。
 この時代の価値観というよりも、「コメディな作品といえばこういうノリでしょ」というステレオタイプな雰囲気、お約束、みたいなのが私には合わないのかもしれない。

 この人は悪人として登場したキャラだからいくらでも悪し様に書いて良い、逆にこっちの人は善人として登場させた味方だから、できるだけ良い風に書こう、悪いところも美化して書こう、という雰囲気が常にある。キャラの記号化が強いといえばいいのか。
 例えば、作中、片山のお見合い相手として横沢幾子という女性が登場する。この女性は、お世辞にも器量良しとは言い難く、性格にも難ありな感じで描かれ、どうみてもヒロインである吉塚雪子の当て馬として登場したのが見え見えなキャラクターだ。
 そして案の定、やることなすことすべて片山の気に障り、地の文章で悪し様に描かれると、それと対比するかのごとく雪子がお見合い会場に現れる。当然片山も明らかにそれを喜び、幾子とのお見合いを途中で抜け出しデートに行く。
 これの、言いようのない違和感、予定調和に動かされている感じが、すごい苦手。
 実際に、何から何まで悪い人っていないでしょう? 犯罪者じゃないんだから。
 別に悪人を出すな、と言っているわけではない。だけど、予定調和というか、キャラクターがひどく一面的で奥行きがなく感じられてしまい薄っぺらい。
 幾子は確かに難ありの見た目と性格をしているが何か違法な手段でもって片山に何かしらの危害を加えたわけではない。ただお見合いに来ただけ。それなのにこの仕打ちなのはあまりじゃないか。そして作品は「片山と雪子がお似合いなんだから良いでしょ? みんなも美人でクールな美女好きでしょ? 幾子みたいなキャラ興味ないでしょ? だって最初から魅力的に書いてないからね」と言わんばかりに雪子との逃避行を「素晴らしいこと」として描き、流していく。当然フォローはない。この違和感。
 これが作風なのか、あるいは当時のコメディのノリはこういう予定調和的なお約束を良しとされていたのだろうか。
 確かにコミカルなBGMでも流せばドラマ映えしそうなシーンではある(ドラマあんま見ないので偏見だけど)

 別の例としては、英文学教授の大中は、見た目も小太りでぱっとしないしすぐに短絡的に自分勝手な考えに陥って周りに怒り散らし、さらにどんくさいため雪子にもホームズにものされてしまう。「そういうキャラ」として「そういう役回り」を演じ、決して良いところは描かれない。
 実際全くいいところがない人間なんてこの世にどれくらいいるのだろう。

 反面、良い風にしか描かれないのが、森崎教授、そしてヒロインの雪子だ。
 森崎教授は、ホームズの元飼い主で、頭が良くてダンディでスーツが似合う人格者。何故かクレーンを口汚く罵らずにいられないという謎の偏屈さがあるという欠点以外は、非の打ちどころのない人物として描かれ賛美される。少なくとも登場人物は(敵対している陣営を除き)彼を称える。
 が、実際はどうなのかというと、この教授は40代(推定)でありながら教え子であり学生の雪子と恋人で、何度も寝ている。そのくせ、結婚する気はなくそれどころか、片山が独身だと聞きつけると、雪子に片山と付き合うように勧める。身を引くどころか、ベッドの中で。
 妻子はいないみたいだが、大学を二分する権力者の立場でありながら、教え子に手を出すのは多少の非難はありそうなものだが、それを決して人から揶揄されることはない。「そういうキャラ」だからだ。

 同じく、ヒロインの雪子は、容姿端麗で頭も良い。そして森崎教授と何度も肉体関係を持ちながら、森崎亡き後は片山に好意を寄せて積極的にアプローチする。この身代わりの早さは、少なくとも今なら疎まれ倦厭されそうなキャラ設定だが、この作品ではあくまで理想の女性として描かれる。「そういうキャラ」だから。
 やはりどちらも一面的で、深みがあまり感じられない。

 また、この「このキャラは悪人だから適当に扱ってもいい」というノリは実際の事件の推理にまで現れる。例えばとある事件の再現性の実験で、犯人と思しき人物を使って、実際の事件の再現を試みたりする。もちろん、一歩間違えば死ぬ、そんな実験だ。そして、実験は成功し、その容疑者は助かりたい一心で「本当のことを話すから助けてくれ」と言い出す。事件の再現性が証明され、重要な証言もゲット、というわけだ。
 刑事としてそのやり方はどうなんだろう。
 また、刑事がところどころ妙に高圧的で威張り散らしてるのは、これもやはり時代性か。平気で嘘ついて証言を聞き出そうとするし。

トリックのチープさ、理不尽さ

 作中、複数の事件が出てくるが、そのうちのいくつかは単純で物足りない。あるいは納得できない。

 例えば、直方体のプレハブ小屋の端をクレーンで持ち上げて中の人を墜落死させるという手法は単純だし、どこか別のところで聞いた気もする(コナンか金田一のどっちかだと思う)。ただ、この件に関しては、私が知ってただけで、知らない人は頭を悩ますトリックなのかもしれないし、時代を考えてもコナンや金田一よりもこっちの方が早い。私が楽しめなかったというだけだ。

 ただ問題は、この方法で殺した人間の死因が、高いところからの転落死と判明するのが遅すぎるところだ。
 具体的なトリックはこうだ。
 直方体のプレハブ小屋に、殺したい相手を呼び出し、相手が中に入って鍵を内側からかけるように仕向ける。直方体の面積の小さい方の壁には窓がついている。窓の外で物音を鳴らす。中の人が窓に近づく。近づいたら、窓のある面にクレーンの先を引っ掛けて持ち上げる。中の人は慌てて窓に捕まり宙ぶらりんになる。そのまま縦にし続ければ、やがて力尽きて反対側の壁に叩きつけられる。
 このトリック、どう考えても叩きつけられた方の壁にかなりの血が飛び散る。証拠がありありと残るのだ。それを見た警察が、「何か平たい鈍器で殴られたか、地面か壁にたたきつけられている」となるのは明らかに不自然。状況証拠からどう考えても勢いよく壁に叩きつけたようにしか見えないし、それと土台のしっかりしないプレハブ小屋のことを加味したら即効で見破ってしかるべきトリックではないか。

 また、犯人を追っていた林刑事が犯人に刺され、重体のところに片山が駆けつけるシーンがある。
 ここで主人公は、林刑事に駆け寄り、犯人が誰なのか聞き出そうとするが、林は「は、犯人……みた……みた……」と残し事切れる。これを片山は「犯人を見た」と林が言っているのだと解釈するが、のちのちこれは、実は真犯人である「三田村」を名指ししようとしていたことが判明する。
 これも不自然だ。
 この不自然さは「犯人、見た」と「犯人、三田村」をそれぞれ実際に口にしてみたらわかる。
 「三田村」と言った時の「みた」の部分のイントネーションは、絶対に「見た」と同じにはならないのだ。
 三田村、と言おうとして「みた」まで言った場合、最初の「み」が低く始まり、「た」で少し上がる(むら、まで続けた場合はそのまま平坦に続く)。
 一方で「見た」と言った場合はどうか。今度は最初の「み」が高くなり、「た」で下がる。全然違うのだ。これを聞き違えるはずがない。
 強いて言えば、林がひどく訛っていたり、力尽きる寸前だから抑揚が平坦になってしまったりした場合、そういう聞き間違いや思い違いをする可能性もなくはないかもしれないが、少なくとも本文中にそのような記載はない。

総評

 探偵役が猫、という異色の作品で、赤川次郎特有の軽妙な文体が楽しい新しいミステリ(初出は1978年だけど)。
 だが蓋を開けてみれば残忍な事件と次々増える死体のオンパレードでギャップがすごい。
 また古い作品であることもあり、ノリが昭和というか今の価値観としてはずれている言動やコメディ描写も多く、今の人たちが見るにはきつい点もちらほらあるので、長く愛されているシリーズではあるが個人的にはちょっと続きは読まなくていいかな、と思う。
 ホームズも片山も嫌いではないし、彼らの今後がどうなるのか気にならないではないのだけど。ヒロインの雪子も、ちょっと不自然に作品に愛されている感じは受けたが、悪いキャラではないので、もし続投できるなら彼女の今後も気になったが……。
 続き物で親友や恋人が亡くなる or 犯人になるの、やっぱり辛いね。